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美しき北欧の器・ベルント・フリーベリ

フリーベリの素晴らしさは全体としての完成度の高さにあると感じます。生地の薄さ、バランスのいいフォルム、そして言うまでもなく釉薬の美しさ。ポンっとひとつだけ置いても、まわりの空気を凛とさせる存在感を持っています。

美しい北欧陶器との出会い

少し前のこと、渋谷・ヒカリエという商業施設をブラブラしていました。ここの8階には私の好きなライフスタイルショップ「d47 design travel store」があり、渋谷で時間のあるときは立ち寄るようにしているのです。このショップでは47都道府県のクラフトや物産品がコンパクトにギュッと濃縮されたスタイルで展示販売されていて、好みのものが見つかること、愛用の白出汁を売っていること、各地で編集された地域色の高い冊子を扱っているなど、自分のツボにはまる理由がいくつかあって好きなのです。この日もここで買い物を済ませてから、同じフロアにあるギャラリーを覗いてみることにしました。このギャラリーは2週間毎に展示が代わり、その時々に趣の異なる展示が催されていて気になるスペースです。
その日は、どこかノスタルジックな雰囲気を持つ花器や鉢などの綺麗な色の陶器が、いくつかの台の上に展示されているのが見えました。ショーウィンドウから見える深い青や鳶色や、瑪瑙のような透明感のある黄緑。それらに共通しているのは、釉薬の、何ともいえないニュアンスのある美しさでした。ガラス越しに見てウットリしてしまって、ふと気がついたら店内に入っていました。お坊さんのような風貌の男性がいて店番をしている様子。こういうときの私は非常に図々しく(元々図々しいのですけれど)、矢継ぎ早に質問する癖があります。これはスタイリストという職業がもたらした習性とも言えるのですが、気になったものがどういうものなのか、とにかく情報収集せずにはいられないのです。お坊さんのような男性は、接客を得意としているプロフェッショナルなセールスマンとは対極にあるような人でしたが、私のしつこい質問にも、ひとつも嫌な顔をせず誠実に対応してくれました。ここでいう誠実とは、買う買わないに関わらず、こちらが商品に興味を持ったことに対し誠意を示してくれる、という意味です。買わせよう、という意識がほとんど感じられない。それは商売というスタンスで考えれば、必ずしも褒められることではないのかもしれません。しかし、私はそういう人を信用し買い物をしてきたと思います。セールストークだけの会話なのか、好きなものへの愛情が根底にある話なのか、その分別はできるつもりでいます。ひととおり、聞きたいことを質問し、最後に名前を教えてもらいました。嶌峰暁さん。ギャラリー「北欧器」という屋号で、ひとりで、好きな北欧のヴィンテージの器を扱われています。本来ならいくら図々しい私でも、通りすがりの展示で、接客してくれた方に名前を聞くことはありません。このときは特別な印象を持ったのです。それは、懐かしさを伴うものでした。不器用な一生懸命さ。自分も持っていたはずの、少し色褪せてきたもの。原点であり、突き動かすもの。器用とは言えないけれど、生真面目に説明する言葉のひとつひとつに、泣きたくなるような何かが感じられたのです。渋谷という、ちょっと思い入れのある街で、見ず知らずのひやかしの客に、こんな熱心に話をしてくれる人に出会えたことが嬉しくて、名前を聞いてしまいました。そして、また話を聞かせて欲しいと頼むと、嶌峰さんは大層真面目に「是非いらしてください」と、言ってくれました。



さまざまな釉薬を巧みに使いこなすことができたベルント・フリーベリ。なかでも青い釉薬の濃淡の美しさは息を呑むほど秀でています。精錬度の高い土を使っているため釉薬が細かく流れ込んでいて、繊維の皺のような細かな模様は、見ていると吸い込まれてしまいます。


展示用の棚に集合したフリーベリの一輪挿し。ひとつひとつ形が違うけれど、どれも一輪挿しというアイテムを端的に表現している。頭の中で思い描ける一輪挿しはすべてここにある気がします。職人として、ものの定番としての形を常に大切にしていた人なのだと思います。


渋谷という街への思い、大人になること

余談ですが、渋谷が若者に占領されてから随分と経ちます。かつて若者だった私も、渋谷や原宿という場所に育てられたひとりです。街に恋をしたように毎日でかけ、そこでしか感じられない空気を目一杯に吸い込もうとしていました。インディーズと呼ばれていた映画を嬉々として観たり、西武百貨店に入り浸ってみたり(20代の頃西武は画期的におもしろかった)、大盛堂書店の文学好きのオジサン店員に会いに行ったり、街そのものが、自分のための学校のような気がしていました。しかし時の経過とは残酷なもので、いつしかその空気を新鮮に感じなくなり、そしてだんだん疎ましくなって、違う場所の違う空気を求めるようになり、渋谷は自分の街ではなくなりました。ヒカリエができたり、映画を観るために、今でも時々顔を出すけれど、あの頃のような情熱を傾けることは、もう今はありません。それはどの街の、どの場所に対しても同じです。
大人になるというのは、きっとそういうことなのだと思います。闇雲に一方的に求め飽きたら離れていく。ある意味乱暴ともいえるつき合い方は既に似合わなくなっています。人も、街も、ものも、そして自分自身にも、それぞれ領域というものがあることを知ってしまったから。その境を超えることはもはや大変で大きなエネルギーを必要とし、いざ目の前にすると尻込みするような感覚に襲われます。気づくと、何に対しても曖昧なままに過ぎていく日々を見送っているような昨今です。けれど、だからといって、その状態を心地よく感じているわけではなく、心の奥に横たわっている熱は出口を求め藻搔いてもいるのです。何かを好きで求めること。その対象が何であれ、純粋さが核心にあることで成立する発作のような思いは、突っ走ることで消化できていた若かりし日々とは異なって、いろいろ身についてしまった現在では突っ走ろうにも身が重く、何とか手立てを探るべく、回らぬ頭であれこれ考えて、咀嚼することを繰り返しています。得るものも、失うものもあるなかで、心の真ん中にあるものを希求する毎日です。そんな折、心に留まった美しい陶器と、それをこよなく愛する人との出会いは、何かのメッセージのように感じられました。再び、嶌峰さんに北欧のヴィンテージ陶器のお話しをうかがいに品川にあるショールームを訪ねることにしました。



究極の形を追求したフリーベリは、卵の陶器をいくつも製作しました。同じ卵形でも微妙な違いがあり、こだわり具合を読み取ることができます。釉薬もいろいろ試していたことがわかる。こうした地道な作業の積み重ねにより、優れた作品が生まれることを窺い知ることができる貴重な作品群。


身長が2メートルはあったとされるフリーベリ。大男だった彼は、掌サイズでお買い得価格のミニチュアもたくさんつくっていたのだそう。何だかカワイイ。実用サイズとまったく引けを取らない端正なつくりに、手先の器用さと真面目さが垣間見られます。


ベルント・フリーベリという匠のこと

ベルント・フリーベリ、アクセル・サルト、ヴィルヘルム・コーゲ、グナー・ニールンドなどなど、私にとっては聞き慣れない人々の名前。彼らはみな北欧の陶工で、1950年代前後のミッドセンチュリーと呼ばれたモダンデザインの黄金期に活躍した人々です。日本ではスティグ・リンドベリが有名で人気がありますが、彼同様、スウェーデンの「グスタフスベリ」という陶磁器製造会社に所属し、それぞれに、それまでにないモダンな陶磁器を発表しています。嶌峰さんは、こうした陶工が残した優れた作品を扱われています。そのなかでも、私が特に心惹かれたのはベルント・フリーベリ。どこかノスタルジックに感じたのは、前述したように、そのニュアンスのある釉薬が理由です。私の育った時代に、日本の家庭で使われていた花瓶や茶碗などに見られたような、とろりと深みのある色調。パキッとしたクリアな色ではなく、靄がかったスモーキーな釉薬です。そして、シンプルでいて研ぎ澄まされたフォルム。自己表現とは一見無縁の奇をてらわない形は、ものの原形のような端的さがあり、ずっと見ていて飽きない形なのです。
「当時グスタフスベリでは、中世中国陶器の破片を収集し、それを徹底的に研究して釉薬の開発が行われていました。フリーベリも独立した作家ではなく、一社員の陶工でしたから、その研究の一端を担っていました。しかし、かえってその事が彼にはプラスだったのではないでしょうか。潤沢な資金を使い好きなだけ釉薬の研究ができ、思う存分轆轤に向かうことができたのですから」
嶌峰さんによると「グスタフスベリ」は1930年頃から社を挙げて、それまでの「マイセン」に代表されるような華美な欧州的陶磁器のデザインから新たなアートとしての美しさを持つ陶器づくりに着手し、中産階級に向けたアート作品を量産したのだそうです。そんな機運の中でデザイナーでもある陶工達は自然発生的にシンプルでモダンなプロダクトを制作。そのデザインの背景にジャポニズムの流行があり、東洋的な美を取り入れることがひとつのブームでもあったのだとか。
「元々ヨーロッパでは陶磁器をアート作品として扱う認識が無く、日本のように陶芸という分野は確立されていませんでした。それが、この時代以降、一部の人たちにその美的価値を評価され、近年になってコレクターも現れるなど注目されるようになりました。モダニズムの名品を数多くコレクションしていたことで知られる写真家のロバート・メイプルソープも、フリーベリの陶器を所有しており、花を生け撮影した作品があります。またメイプルソープにそれらを紹介していたのが、伝説のアートディーラー、マーク・マクドナルドでした。そのことがきっかけでN.Y.で火が付き、それまで何とも思われていなかった北欧モダン陶器に光が当たったのです。フリーベリに関しては、サンローランもコレクションしていたようですし、弟子のトム・フォードも棚をまとめ買いするほどのコレクターのようです」



嶌峰暁(しまみね・さとる)さん。お坊さんのような風貌を裏切らない真面目な方。私は椅子に座りながら取材させていただきましたが、嶌峰さんは、ずっと立ったまま対応。お客様(私)に失礼にならないように、との配慮です。若いのに、実に立派です。


魅了される幸福、嶌峰さんと北欧器

審美眼のある人々が見出したミッドセンチュリー時代の北欧陶器。日本の民藝がそうであるように、特別な人々のためにつくられたものではなく、一般的な人々の暮らしを彩るために制作されたプロダクト。そこに宿る美を見出したことに大きな意味があります。韓国の朝鮮時代の陶磁器と同じように、名も無き陶工が製作した類い希な美を持つ陶磁器。世界各地にある、そうした魅惑の焼きものは、毎日、ただ愚鈍なまでに繰り返された作業から生まれた産物で、アカデミックな芸術とは無縁で、当時は大きな財を生むわけでもなく、ひたすら仕事として続けたことの結果です。
「資料でしかわからないことではありますが、フリーベリは職人気質の頑固者で、気難しい一面もあったようです。完璧主義者ですから、技の研鑽には並々ならぬ情熱を傾けていたのだと思います。釉の調合に於いても科学者のように細かく分銅で計算し尽くして、思いどおりの完璧な色が出るまでに到達したようです。また、究極の形を追い求め卵やリンゴの形を執拗に繰り返し製作しています。中国や朝鮮半島の陶磁器の形も模倣していますね。オリジナリティという点では抜きん出るものではないかもしれませんが、彼の美を極めようとした意思は凄まじいものを感じます。でも、晩年になると、高台の形などがゆるやかになるんですね。美的観点からすると若い頃の方がいい。それが単に技術的に難しくなったからなのか、それともそれで良しとする境地に至ったのか、見解はいろいろあると思いますが」
そう言いながら、ゆるやかな高台を持つ鉢を大切そうに扱う嶌峰さんに一番聞いてみたかったことを質問しました。愛して止まないものを何故手放せるのか。
「僕はきっとコレクターではないんだと思います。最初は取り憑かれたように収集をしました。そのために働いていたと言えます。結果増えすぎてしまった、というのもあるんですけれど、今は、この美しさを多くの人に知ってもらいたいという気持ちが強いんです。良いものを人に勧め、それを理解してもらえる喜びは大きい。現在の北欧で、フリーベリのような高度な技術を持つ陶工は、おそらくいませんから」
コレクター歴10年、ギャラリーを始めて6年、現在36歳の嶌峰さんだから、ほぼ青春のすべてを費やしたと言っても過言ではない北欧器への熱。これからもこの仕事を続けたいと語る朗らかな表情に一点の曇りも見つけることはできませんでした。
「まったくストレスが無いですから」
そうは言っても将来に向けて、何の保証もないのは事実。そこには続けてきたことへの自負しかない。けれどそれを選び、実行してきた人にしかわからない真実があることも、また事実だと思います。好きなものを疑わない。それがどれだけ幸福で、人を強くさせるのか。愛することの原点を教えてもらえた気がします。横たわった熱を放置することなく、その行き先を見つける旅をこれからも続けようと思います。好きなものの傍にいつもいられるように。




モダンデザインが好きな嶌峰さんが北欧に惹かれたのは、家具がきっかけでした。「家具はどんなに好きでも持てる数は少ない。陶器は数的な限度をあまり考えずにいられることが大きかった」と語る。自宅兼ショールームのマンションには、ハンス・J・ウェグナーのチェアや、クリスチャン・ヴェデルの肩肘チェアセットなどの名品が置かれています。



ギャラリー「北欧器」は、アポイントメント制のギャラリーです。詳しくは、http://hokuouki.com/