大人の沖縄番外編

竹富島には瓦職人による、私の大好きな古いシーサーがまだあちこちに残っています。島を散歩しながら、

それぞれに愉快な表情を持つシーサーを探して回るのも楽しみのひとつ。プリミティブアートなんです。
 

 

「ゆるやかな人々の島を訪ねる」

 先日、新刊が出版されました。「手仕事と工芸をめぐる・大人の沖縄」というタイトルです。ここ数年あたため続けて来た企画なので、書籍という形にできたことはとても嬉しく、たくさんの方に読んでいただけたら幸いです。
 本の「はじめに」でも触れていますが、沖縄には移住した友人たちがいて、彼らから教えられた沖縄に出会う度に、この島に対する興味は深くなっていきました。その一番の理由は伝統がちゃんとあること。おそらく本土のどの土地にくらべても、自分たちに根ざした文化を大切にしていると感じられるのです。現在でも衣食住の全てにこの島の風土と歴史は深く関わっていて、それに基づいて暮らしが成り立っている。過去形ではなく、現在進行形で受け継がれた独自の文化が存在していて、そこには大いなる知恵が宿っています。
 この本では、伝統的な工芸品を中心に紹介しながら、その根底にある人々の物語を綴りました。ものの歴史的背景やつくられ方にももちろん触れていますが、ものに関わってきた人々と現役で関わっている人の思いにフォーカスを合わせることに重点を置きました。それにプラス、今だからこそのものづくりも紹介しています。
 今回のブログでは、本の中では紹介しきれなかったお話しを書いてみようと思います。取り上げたものとは直接関係ないけれど、掬い上げたいと切に思った深く心に響いたお話しや、印象に残ったことなどを記します。
 沖縄に感じている最も強い印象は、人のゆるやかさです。取材をしていても、雑談をしていても、変に熱くなる人はまずいませんでした。口角沫を飛ばすような事態にはならないのです。今回に限らず、過去の取材でも、話の内容がその人の仕事なり生き様なり考え方に及んでいても、こちらを制するような威圧感のある態度を取られることはなかったと記憶しています。
「私はこのように思っているけれど、他にもいろんな考え方があるよね」
この白黒つけない感じにいつもとてもリラックスするのです。私に限らず、殆どの人がそうだと思いますが、妙に限定的で威圧感を与える人と話をすることは疲れます。
 取材は私の仕事ですから、そのような人を相手にしたとしても聞くことは聞かなければならない。近頃はようやく年の功なのか、場の雰囲気をコントロールする術も何となく身に付きつつあり、その様な態度を取られる方の心情も察することはできるようになってきたかもしれません。取材という特殊な場面で、気心の知れない相手と話をするのは誰だって少なからず緊張するものですし、話をしていて何だかウマが合わないな、となれば尚のことガードがきつくなるのも致し方ないことではあります。元々そうした性分の人は別として・・・。
 沖縄で出会った方々は、ことごとくゆるやかでした。最初から壁がないと言えばわかりやすいでしょうか。ふわっと、自然に懐に入れてくれる。ありのままを見せてくれる。この枠を構築しない感じがあるから、移住者にとっても住みやすい環境であるのです。移住者の方々が、口々に語ったのは「居心地の好さ」と「出ていく理由が見当たらない」というものです。余所者に対して必要以上に構えないことは、沖縄の人々の大きな特徴のひとつだと感じます。それも、この島の歴史が影響していることは確かな事実です。

 

 

 

石垣島からフェリーに乗ると15分ほどで竹富島に到着します。船を下りると、タイムトリップしたような感覚に。

頭で思い描く、沖縄の原風景がそこにあって、心豊かな時間が流れていることを感じます。

 

 

沖縄の歴史的背景と独自性」
 琉球王国と呼ばれたかつての沖縄は、大和(日本)や中国や東南アジアの国々と広く交易をしてきた歴史があり、様々な民族と交流することで繁栄し、国を成り立たせてきた背景を持ちます。後に薩摩藩に支配され、日本に組み込まれ沖縄県となり、戦後アメリカに統治されても尚、アイデンティティーを失わなかったのは、ある意味、異民族や異文化への免疫が強かったこともひとつの要因であると推測します。守るべきものは守りながら、取り入れるものは取り入れるしたたかな知恵と経験があればこそ、沖縄の人々は他の地域では類を見ない文化を形成できたのではないでしょうか。
 植民地支配された経験を持つ場所には、統治した国の文化が色濃く反映されるものですが、沖縄の文化は、そうした場所とくらべてもかなり違った趣を有します。日本やアメリカの文化を取り込んではいますが、それをアレンジして自分たち独自のものに変化させている。那覇の中心街やリゾートエリアにはアメリカ的なもの、本土でお馴染みの商業施設も目につきます。ですが、それは表層的なもので、核心に近づくとまったく違った表情を持つ独自性がある。食べものも、住まい方も、混ぜ合わさってはいるけれど、沖縄でしかない、ひとつのオリジナルが存在しています。
 その独自性を支えているのは、受け継がれ続けて来た精神性や考え方が核となっていることは言わずもがなで、日々の暮らしのなかに、固有の神々が居て、その基盤になっている自然に畏敬の念を持ち、お年寄りを敬う心を持つ。生き方と考え方にズレがないから穏やかな人々が多いのだろうと思います。
 今回の取材で訪れた場所で、特に印象深かったのは竹富島。殆どの人が思い描くであろう原風景としての沖縄がある場所です。ここで、かごを編むお年寄りを訪ねました。「クージの会」というかご編みサークルの中心人物で、88歳となった現在も元気に製作を続けられている名人、松竹昇助さんです。
 かご好きの私は、何処へ行っても編組製品を探します。沖縄にも様々な物語を持つ編組製品があり、竹富島や石垣島でつくられてきた編組製品は"民具"と呼ばれていることを知りました。家具をはじめ暮らしに必要な道具を、島にある植物を素材に編んでつくっていた。その技術は男達のもので、民具が上手につくれるようになったら一人前と認められたのだそうです。まさに地産地消の道具づくりですが、今は風前の灯火。沖縄でも編組製品は失われかけているもので、その灯火を消さないために「クージの会」は結成されました。この続きは、是非とも本でお楽しみください。

 

 

 

松竹昇助さんと「クージの会」の皆さんと一緒に、かごの素材になる植物を採集しに出かけました。

民具と呼ばれる編組製品は、すべて島のなかにある植物で編まれています。

昇助さんはスルスルと魔法のように素早く素敵なかごを編んでしまいます。

 

那覇にある「沖縄県立博物館・美術館」には、沖縄で使われてきた道具として編組製品の展示コーナーがあって必見です。

沖縄の自然や暮らしや歴史がわかりやすく工夫された展示は見応えがあり、

併設された図書室には工芸に関する書籍も豊富で、何度も足を運びたくなります。

 

 

「許すことと理解することの違い」

 竹富島にフェリーで着くと、船着き場の直ぐ傍に「ゆがふ館」という施設があります。ここは、この島のビジターセンターとしての役割を持ちますが、小さな島の施設だけれど飛び切りセンスのいい展示に驚きました。島の人々の暮らしや精神性を表現した写真や散文のパネルがあり、それは美しく、ストレートに心に届くものです。
 そのパネルを見ながら、ずっと気になっていたある事がフッと腑に落ちる気がしました。その気づきは、昇助さんたち「クージの会」の方々との会話から確信に変わりました。それは、地球上で繰り返されている紛争について。こうして文章にすると、とても大仰になってしまいますが、なくならない争いについて考えることは誰にでもある筈です。ゲリラ化する人々が増える現在、不謹慎かもしれませんが、沖縄に、そうした存在が現れないことに不思議さを感じていたのです。
 世界中に紛争があり、何百年も解決しない問題があって、火種は消えることのないままです。沈静化に向かっているように見えても、思わぬ出来事で再度激しく燃え上がることが繰り返されている世界。お互いに譲らず傷つけ合い、そこから新たな暴力的組織を生み落としてしまう悲劇は今も続いています。ゲリラ化した憎悪を核とする人々は、あちこちに存在している。勝手な理論で暴力を振るう彼らを肯定する気はもちろんありませんが、傷ついた人々が恨みを抱いたとき、世界を拒絶し、攻撃的な態度を持つことは想像できないことではありません。
 沖縄は、幾度も辛い経験を他者からもたらされ、奪われてきた歴史を持ちます。そしてそれは過去の出来事ではなく現在も続いていること。米軍による事故や犯罪を自分たちの手で裁くことはできず、基地の移転問題も島のなかでの単なるたらい回しにしか過ぎません。このような状況が、戦後70年以上経過した現在も続いている事実を考えれば、ゲリラ化する人々が現れても不思議ではないように思うのです。政府から予算が出ていたとしても、民間人にとってそれは納得のいくものではないでしょう。何故、過激になる人々が現れないのか。どのように許しているのか。ずっと気になっていたことでした。
「許しているわけではないんだよ。悲しみは傷として残るからね。でも、わかってやろうとする気持ちを持っているんだ。沖縄の人々が怒りを暴力でぶつけたりしないのは、そんなことをしても先がないことを多くの人が知っているからだよ。やられたらやり返せでは自分もダメになるだろう。昔から繰り返されてきた負の経験が財産になって、生きていくための知恵として受け継がれているんだ」
 許すことと理解することの違い。昇助さんからお話しを伺うまで、私はこのことについて深く考えたことはありませんでした。それはどう違うのでしょう。わかりやすい例えとして、恋愛に置き換えてみます。愛する者との間に、どうにも噛み合わない溝があると想定してみます。受け入れられない現実があったとして、それにより心に傷を負う。そうした状況をいったいどう受け留めるべきなのでしょうか。
 昇助さんの話を教訓とすれば、そこで無意味な争いをしないことが重要。男女の場合は、時の経過が運んできてくれる風化を待つことが最善の対処法ということになるのかもしれません。それにしたってきつい精神状態を抱え続けなければならないのですから、そう簡単なことではありません。時間が経ち、お互い様の部分があったと振り返ることができたとき、やっと辛い状態を乗り越えられる。そして、未来に繋がる光があると信じられれば次のステップに進み継続させることになります。そうするか否かは人それぞれですが、愛することには、孤独を引き受けるという責任も生じるので、だから続けるとしても、更なる信頼構築のための辛抱と努力が必要になります。なかなか大変です。まぁ、そうした状況に目隠しをしてダラダラ続ける腐れ縁というのも存在しますけれど・・・。
 おそらく本当に許すとは、きっとその傷をも愛する行為なのかもしれません。もはや神の領域と言えそうです。そう考えると、人の関わり合いとは厄介でありながら、深く続いていく不思議なものですね、つくづくそう感じます。ましてやこれが男女間ではなく、国や民族間でのもつれとなれば話はもっと複雑になるでしょう。

 

 

ビジターセンターである「ゆがふ館」の展示はとても興味深い。

スッと心に響く言葉と写真で竹富島の有り様を伝えています。この島の人々は昔からずっと助け合いながら、

自然のなかで神々に感謝しながら暮らしてきました。
 

 

「悲しみを知恵に変える強さについて」


 話が脱線しましたが、沖縄が歴史的に背負わされてきた悲しみは、まさしく他者との関わり合いのなかから発生したもので、いつも受け身であったが故の悲しみであると感じます。言い換えれば、弱者であるからの悲しみ。力を持つ者と対峙するとき、相手が必ずしもフェアに向き合ってくれるとは限らない。殆どが対等ではないように思えます。その力関係のなかでしたたかに生き抜くには、知恵が必要なのです。
「沖縄ではね、よく言われている諺があるんだよ。"昇る太陽は拝まれる、沈む太陽は拝まない"ってね、長いものには巻かれろって言うのと同じような意味でさ、力のある者を上手く利用することを良しとする考え方なんだけどね。ズルさと言えばそれまでだが、余計な争いを避けるための知恵でもあるんだ」
 この話を聞きながら、私はある人の言葉を思い出していました。以前、仕事で韓国を頻繁に訪ねていたときのこと、ある企業のトップの方と会う機会があり、日韓関係の話になり、内容がその歴史について及んだとき「侵略されたのは日本が悪いのではなく、自分たちに力がなかったのがいけなかった」と語られました。
 それまで耳にしていた韓国の方々の、日本との歴史に対する大方の意見とは異なる発言に少し驚きましたが、企業のトップに立つ人の意見らしいとも思いました。力=経済力が、今の世界では何よりも勝ると確信していると続けて語られ、「あなたがそうではない世界を望んでいることは察しがつくけれど、あなたが今されている仕事も豊かな国に住んでいるからできていること」と付け加えられました。
 私はその事実を認めましたが、私自身は特に裕福ではないことを伝え、幸福と力は必ずしも比例しないから、力に関する話より、お互いに興味のある朝鮮時代のものづくりについての話しがしたいと説明すると、それはグッドアイディアだと微笑んでくれました。
 相反するものを理解することの強さと、大きな力を持つことは、悲観的に考えると同一線上にないのかもしれません。でも、バランスを取ることはできるのではないかと思います。
 昇助さんが教えてくれた相手を理解するという行為は、受け入れることとも、また違っているのだと思うのです。相手の存在を認めたうえで、自分の考え方や人生を貫くしたたかさを持つこと。同じ価値観を持てない相手なら衝突せずに距離を置きながら、お互いに繋がれる部分だけで向き合ってみる。場合によっては相手の良い部分をのみ込んで、新たに自分たちのスタイルにつくり変えてしまう知恵だってありだと。
 沖縄の文化には、そうしたミックスがたくさんあることを知る度に、人々の精神の強さがもたらす大らかさを感じました。チャンプルーとは混ぜ合わせること、ユイマールとは人との繋がりや助け合いを意味します。衝突するよりも、混ぜてみたり繋がってみる方が有意義であることを、伝統ある沖縄の工芸からも学びました。
 昇助さんの暮らす竹富島は、観光の島です。沖縄全体がそうであるけれど、方向性が本島とはかなり異なっていて、昔からの風景と暮らしの提案を魅力としています。人によっては、この島も観光のためにつくられたアミューズメントパークだと捉える向きもあるでしょう。だとしても、それでいいと感じます。
 景観にそぐわない高い建物をつくらない、コンビニがない。そうした規律は、住む人にとっては不便なことです。都会的な設備やサービスを享受できることは日々を営む上で快適であることは事実だから。でも、この島で生きる人々は、その便利さよりも、先人たちが守ってきた穏やかに暮らすこと、その為の知恵を優先することを選んだのです。その決意が、ゴミひとつ落ちていない珊瑚でできた白い路地に表れていました。赤瓦の家々は質素だけれど、手入れの行き届いた庭に花々が咲き、日々の暮らしを楽しんでいる様子が窺えます。
 「ここはパラダイスだね」と、同行したカメラマンの友人が呟きました。彼女が滞在中に目にしたものごとから発っせられた言葉で、それが単なる見かけ上で語られた言葉でないことは明らかでした。島で接した人の言葉や笑顔や、やさしい佇まいから得た、彼女の鋭い観察眼が掴んだ実感です。「そうだね」と答えながら、自分がずっと憧れて、軸にしたいと望むものが何なのかを改めて認識することになりました。
 沖縄から戻り本の原稿を書き終えたとき、窓の外で、薄暮が、冬も終わりだよと告げました。新しい春がやってきました。

 

 

 

集落のなかには誰でも自由に入れて、好きなだけ本を読んでいていい場所があります。

古民家に設えられたたくさんの本棚に、子どもの頃に夢中で読んだ本を何冊か発見。

それだけで和めるし、この島が善い場所であることを確信しました。
 

 

 

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